2015年5月14日木曜日

リーダーシップ考

「リーダーシップ」という概念は、欧米のエリート教育の中では中心的な位置にあるような印象を受けます。どこのビジネススクールでも、リーダーシップというのは必修授業の構成要素です。

翻って、少なくとも大学までの日本の高等教育ではその手の教育が為されたという記憶はありません。「欧米ではこう、日本ではこう」と過度に単純化することは戒めたいところですが、日本企業に務めた個人的な経験では、然るべき地位にいる方々がリーダーシップを一向に発揮せず、失望させられた経験が少なくないというのは、偽らざるところです。

こうした状況を踏まえ、日本人MBA卒業生の間では「欧米企業ではリーダー人材は抜擢され、早くからマネジメントの経験を積めるのに、日本企業ではそうしたことは行われない」というのが定番の嘆きであります。確かに、客観的な事実として日本の大企業では40歳ぐらいまで管理職になることはないので、こうした昇進の遅さが、リーダー育成にとってネガティブファクターであることは十分にありうる、と思います。

ただ、こうした「遅い昇進」は、日本企業の特徴である「新卒一括採用慣行」「ジョブセキュリティの高さ」と裏表の関係にあります。というのは、出世競争に負けた側を簡単にクビに出来ないので、昇進をなるべく遅らせて、相互に競わせるのが合理的な行動になるのです。ので、僕自身はMBA卒業生の嘆きには簡単に同調できないのですが。

いずれにせよ、日本型組織の運営において、最もボトルネックとなるのはこうした「リーダー人材の不足」であることは珍しくないだろう、というのが個人的な肌感覚です。

僕が最近考えているのは、比較的若いうちからリーダーとしての経験を積みたいのであれば、NPOなりの社外活動に積極的に関わるのがよいのではないか、ということです。

およそ仕事であれば、従業員は給与をもらう対価として「業務命令」に服する必要があります。もちろん気に入らない上司の仕事をサボタージュするというのは一般的なことですが、それとて限界があります。つまり、どんなダメなオジさんであっても、一定のポストに就けばある程度の権限をふるうことが可能です。

一方で、NPOのようなボランティア組織では、構成員がそうした義務を負っていません。組織がワークするかどうかは、かなりのところ属人的なリーダーシップにかかってきます。「お金や契約によらず人を動かさなければならない」というのは、いかにその趣旨に賛同して集まった人たちであれ、なかなか難しいことです。

構成員のモチベーションはなんなのか、どんなスキルを持っているのか、キャパシティはどの程度あるのか、信頼できる人材か。どういう言い方をしたらよいのか、プライドメンテナンスなども必要になってくるでしょう。原始共同体の政治というのは、こうした形で行われたのかもしれませんね。そうした場で、リーダーとして学べることは多いのではないかと思います。

もうひとつ重要なのは、「リーダーがいなければ、組織は動かない」ということを現実として理解できます。これは僕も震災のボランティアに行ったときに実感したのですが、「何かを震災被害者のサポートをしたい」という人が100人集まったところで、それだけでは実際に何もできないんですよね。「あなたはこれをやってください」というディレクションをする人がいなければ。

最後に、アメリカみたいにCEOが莫大な報酬を得るならともかく、一般的にはリーダーというのは割に合わない立場です。時間なのか、お金なのか、何らかの負担を引き受ける必要があります。日本人のメンタリティとしては「リーダーに憧れる」というのはあまりないかもしれませんが、一般的にはフォロワーの立場の方が楽なのは間違いありません。

もっとも、リーダーがそうした自己犠牲を払っているからこそ、構成員の尊敬を集め「この人についていこう」という本来的なリーダーシップが発生するものかもしれませんね。



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