ネット界隈を騒がせているこの話題。
曽野氏コラムは「人種隔離容認」 南ア大使が産経に抗議
産経新聞社は14日、同紙の11日付朝刊に掲載された作家、曽野綾子氏のコラムについて、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使らから抗議を受けたことを明らかにした。アパルトヘイト(人種隔離)政策を容認する内容だとして、インターネット上で批判を浴び、海外メディアも報じていた。
曽野氏コラムは「人種隔離容認」 南ア大使が産経に抗議
産経新聞社は14日、同紙の11日付朝刊に掲載された作家、曽野綾子氏のコラムについて、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使らから抗議を受けたことを明らかにした。アパルトヘイト(人種隔離)政策を容認する内容だとして、インターネット上で批判を浴び、海外メディアも報じていた。
朝日新聞 2015年2月14日23時00分
実は今読んでいる本に関連し、興味深いなと思ったので取り上げさせていただきました。
ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)
こちらはヒトラーが「演説家」として優れていた点はなんだったのか?ということを考察した本です。演説においてはヒトラーが「AではなくB」という対比法や「もしAならばB」という都合の良い仮定から結論を導く方式を多用したことを指摘しています。他にジェスチャーや発声法の訓練をした事実についても解説しています。
ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書)
こちらはヒトラーが「演説家」として優れていた点はなんだったのか?ということを考察した本です。演説においてはヒトラーが「AではなくB」という対比法や「もしAならばB」という都合の良い仮定から結論を導く方式を多用したことを指摘しています。他にジェスチャーや発声法の訓練をした事実についても解説しています。
ヒトラーはかの「我が闘争」の中でこうも述べています。
- プロパガンダが焦点を合わせるべきは専ら感情に他ならず、知能へは非常に限られた場合のみである
- 大衆が親しめるものであること、そして対象とする者のなかでも最も程度の低い者の受容力に合わせること
- 学術講義のような多面性を与えようとすることは誤り
- プロパガンダとは大衆を絶え間なく自らの意のままにするためにある
- 広範な大衆に向けたプロパガンダの根本原則とは、テーマ、考え、結論を絞り、執拗に繰り返せばよい
ヒトラーは大衆を徹底的に蔑視し、計算尽くでコントロールをしようし、そしてその計算通りに史上稀なる成功を収めたわけです。
実は、曾野綾子氏のコラムもこうした類似構造を指摘することができます。
「白人と違い黒人は大家族主義である」→「だから居住区を分離した」
「外国人は日本人と行動様式が違う」→「だから居住区を隔離すべき」
ここでは、まさに都合の良い仮定から結論を導き出すロジックが使用され、仮定においては白人はこういうものだ、黒人はこういうものだ、外国人とはこういうものだ、という単純化が行われております。
なお、上記の本ではこうしたプロパガンダ効果は政権掌握してまもなく消失し、大衆はヒトラーの演説に飽きたとされていますが、その頃は国家暴力を独占したナチスに逆らうことは実質的に不可能となっていたのでした。
ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)
こちらはホロコースト=アウシュビッツというともすれば単純な図式に陥りがちな理解に対して、いかにナチスが組織的にジェノサイドを進めていったのか、またその過程でどのようなプレイヤーがどのような判断を下したのか、をまとめた本です。
読んでいるとひたすら暗くなる本ですが、人間が民族的偏見をもったときにどこまで残酷になれるのか、民族的偏見が広範に共有され、組織の内面規範となった時に何がおこるのか、ということを教えてくれます。
さて、個人的には「炎上」という現象はあまり好きではなく、曾野綾子氏の主張を「危険思想」として撲滅の対象とすべきである、という大合唱に同調するのは一抹のためらいがないとは言えないのですが…
しかしながら、こうした民族的な偏見の帰結には、大いなる悲劇が待っている可能性があることは声を大にして指摘したい。それは遠い過去の歴史ではなく、現在でも世界中で普遍的に起こっている事象なのです。そうした観点に基づいて、同氏の主張、および差別的思想や言説に対しては批難するものであり、「表現の自由」という錦の御旗を立てて、そうした可能性に目を向けようとしない産経新聞にもまた失望の意を禁じ得ません。
実は、曾野綾子氏のコラムもこうした類似構造を指摘することができます。
「白人と違い黒人は大家族主義である」→「だから居住区を分離した」
「外国人は日本人と行動様式が違う」→「だから居住区を隔離すべき」
ここでは、まさに都合の良い仮定から結論を導き出すロジックが使用され、仮定においては白人はこういうものだ、黒人はこういうものだ、外国人とはこういうものだ、という単純化が行われております。
なお、上記の本ではこうしたプロパガンダ効果は政権掌握してまもなく消失し、大衆はヒトラーの演説に飽きたとされていますが、その頃は国家暴力を独占したナチスに逆らうことは実質的に不可能となっていたのでした。
ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)
こちらはホロコースト=アウシュビッツというともすれば単純な図式に陥りがちな理解に対して、いかにナチスが組織的にジェノサイドを進めていったのか、またその過程でどのようなプレイヤーがどのような判断を下したのか、をまとめた本です。
読んでいるとひたすら暗くなる本ですが、人間が民族的偏見をもったときにどこまで残酷になれるのか、民族的偏見が広範に共有され、組織の内面規範となった時に何がおこるのか、ということを教えてくれます。
さて、個人的には「炎上」という現象はあまり好きではなく、曾野綾子氏の主張を「危険思想」として撲滅の対象とすべきである、という大合唱に同調するのは一抹のためらいがないとは言えないのですが…
しかしながら、こうした民族的な偏見の帰結には、大いなる悲劇が待っている可能性があることは声を大にして指摘したい。それは遠い過去の歴史ではなく、現在でも世界中で普遍的に起こっている事象なのです。そうした観点に基づいて、同氏の主張、および差別的思想や言説に対しては批難するものであり、「表現の自由」という錦の御旗を立てて、そうした可能性に目を向けようとしない産経新聞にもまた失望の意を禁じ得ません。